ここ「本の元の穴の中(もとのもとのあなのなか)ファンページ もとあな草紙」では、“もとあなワールド”を、もっと楽しむための企画をご用意いたします。
その第1弾として、キイチ&元太郎&ハナたちと関わりのある人物のそのときを追った、サイドストーリーをお届けします。本編からは少し離れた、あの場所であの人たちは……!? 天乃タカ先生の手による書き下ろしでお届けします!
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第一片
作・絵 天乃タカ
―――ガンちゃーん
「! ……キイチ?」
ハッと息を飲み、手に持っていた箒を握り締めた。とっさに、振り向いた先には、先ほど通ってきた道があり、何も変わった様子はない。草木が生い茂り、道が在ることもよくよく見ないとわからないほどだけれど、人の気配はなかった。むしろ、その先に里があることが信じられないほど、シン、としていた。
「空耳?」
“ガン”、と呼ばれた少年は息を殺して耳をそばだててみるも、声は聞こえなかった。
「空耳、だよなぁ」
アイツ、何処まで行ったんだろう。
そんな呟きが風に消える。
吹いた風を追いかけるように空を見上げれば、朝から晴れている空は、相変らず真っ青だった。数日前、日昇る方角の空が真っ赤に染まったことなど信じられないほどだった。
それでも、この時期にしては少々肌寒い。出かけに長老が難しい顔をして枯れた芽を持っていたことを思い出す。ガンは、まだ畑を一つまかされる年齢ではなかったけれど、それがあまり良くない事だということは理解していた。
(じいちゃんたちは赤い空のことも不吉だって……)
纏り(まつり)の火が、とも言っていた。尋ねれば一様に口を閉ざした皺の刻まれた顔を思い出す。
(キイチが旅立った方向だった。アイツ、大丈夫かな……)
空をジッと見上げていると、木々のざわめく音と鳥の鳴き声が聞こえてくる。ガサゴソ、と音がして振り向けば、白い毛皮がチラリと見える。槍を持ってこなかったことを後悔しながら、その後姿が藪の中に隠れるまで見送った。鳥の羽音が聞こえて、鳥の鳴き声が消えた。
「静かだな……」
里の中心部から離れたそこは、少年が思っていた以上に静かだった。里の中に居れば、何かしら聞こえてくる。それは、料理をする音だったり、家の中で歩く音だったり、どこかの兄弟が喧嘩している声もあった。
視線を前方に戻す。
草が生い茂る中、かろうじて伸びていく道。草の伸びた小さな畑と転がった桶。そして、ポツンと一つの小さな家があった。
それが、ガンが目指して来た家であり、キイチの家だった。
「キイチの奴、こんなところに住んでたんだ……」
無意識に、声が密やかになってしまう。それでも、声を出さないと怖かった。
それほど、森は深い。
生まれた時から森に囲まれて暮らしたとはいえ、人の気配がある森しか知らなかった。ガンの歳ではまだそれほど深い場所へ猟へ行くことは許されてはおらず、友達と遊ぶのも、常に里内だった。
けれど、小さな家の向こうに見える森は、深く、暗い。
同じ里中とはいえ、里の中心から少し離れたこの家に来たことはなかった。それは、両親にあまりいい顔をされないことも理由の一つ(それが『鬼』だからだと後々知った)だったけれど、キイチが里へいつも来てくれていたからでもあった。
―――ガンちゃーん!
キイチの声が聞こえて振り向くと、手を振ってキイチが走ってくることが、日課だった日々。釣りをしたし木登りもした。たくさんのことを話した。
遠く、鳥の鳴き声が聞こえる。
真っ直ぐに前を向くとガンは再び歩き出した。
鳥のさえずりが重なり合い、濃い緑の葉を通った陽射しも届いて、ガンはホッと吐息を落とす。ひどく静かだけれど、ここにもちゃんと沢山の生き物の気配がある。よくよく見れば、花も咲いていて家の周りは綺麗に整地されていた。
「アイツこういうとことマメだよなー。……よしっ! 俺も!」
宣言するように、手に持った箒を高く上げた。
「……ン………ガン…」
「キイチ!?」
今度こそ! と振り返れば、突然、予想とは異なる方向からガサガサと人影が見える。ぎゃ! っと叫び声をあげるも、すぐに口を大きく開けて、再度悲鳴を上げた。
「ガン! おまえこんなところで何してるんだ!!」
「ちぃ兄ちゃん!? なんでっ!?」
視線の先の藪の中に、ガンより頭一つ半ほど高い青年が見えて、青くなる。三人いる兄の中でも一番口うるさい兄だった。その手に、弓矢と、先ほど影を見た小動物の白い毛皮を見付ける。猟に鉢合わせたことがわかり、思わず溜息を吐いてしまった。
「なんではこっちのセリフだ。なにやってる!」
上からかかる威圧的な言葉に、思わず持っていた箒を身体の後ろに隠した。けれど、それを見逃す兄ではなかった。
「キイチの家の掃除にでもきたのか」
溜息をとともに零された言葉に、思わず顔を上げていた。
「だって、アイツ、鬼のこと調べたらすぐに帰ってくるって言ったんだ! 人が居なくなった家ってすぐに駄目になるって大兄ちゃんが言ってた!」
ガンがまくし立てれば、あからさまに深い吐息をつかれて、さすがにムッとする。
「なんだよいいだろ! 長老だって、キイチが里の外に出たことは赦すって!」
更に声を張り上げようとした途端、口を押えられて「煩い」と言われて口をつぐむ。それでも、頬を膨らませると兄を睨みつけて、反抗を示す。
「はぁ。おまえ、キイチとケンカしてたくせにな」
深い溜息と呆れたような口調には、腹が立ったけれど、言われた内容に思わず息が詰まる。
「! あの時、キイチに助けてもらったし……それに、」
あれはケンカじゃなかった。
(なんで、俺にまで黙ってたんだよ! 友達だろ!)
そう言っても、何も言ってくれなかったことが、悔しかった。キイチは一方的に黙り込んで謝るしかしてくれなかった。それにひどく腹が立った。
キイチ自身も、何も知らなかったからだとわかったのは、キイチが旅立つ前の日のことだった。
「ちぃ兄ちゃんは……キイチに帰ってきてほしくないのかよ」
いつ、帰って来るかわからない。本当に帰って来るかわからない。
(でも、キイチは絶対帰って来る)
信じたいから、掃除に来たのだ。
グッと箒を握り締めて、決意を固めたようにしているガンを、青年は見下ろして吐息をついた。良くも悪くも、一本気で単純でわがままな性格は末子だからか。肩にかけていた弓矢を下ろして、ガンの前に膝を付いて視線を合わせた。真っ直ぐで精一杯の真面目な視線を受け止める。
「キイチも、幼い頃からこの里で暮らしていた。誰も、憎んでるわけじゃない」
その言葉に、ガンが驚いたように眼を見開いた。
「でも!!」
その先に続く言葉が飲み込まれる。弟も兄もわかっていた。この里は、あの鬼の少年にとって優しくはなかった。それほど住み良い処でもなかっただろう。
「やっかいだとは思ってたさ。ただ単に、からかってたヤツもいるだろう。でも、お前らガキのケンカとは違う」
視線の先で、ガンがたじろいだ。己の過去を後悔している様子に、そっと安堵をつく。後悔するならば、二度と同じあやまちは繰り返さないだろう。
だからこそ、言葉を繋いだ。
「……おまえもキイチも知らないだろう。里の外はそれほど安全じゃない。この里は湧き水が幾つも湧いているから平気だが、ここ数年の地震や気候の変化で幾人も死んでいる。飢饉で里を棄てた者、流れ者だって多い」
他の里と、年に数回の会合でも、いい話題は一つとして聞かなかった。どこの水が枯れた、地がひび割れた、遠く山の頂きには天の欠片が降り積もっているという。この里だって、生活は苦しく、食べるものも豊かではない。
「鬼の角は滋養があるとも聞く。アイツの角は狙われやすい。それだけで、この里が危険に曝される恐れがあることがわかるか?」
だから辛く当った。
それが結果として、意味のないからかいになっていることも知っていたけれど、長老たちが止めなかったのは、成人したあかつきには、鬼の子が嫌気が差して里から出て行くことを望んでいたからではないだろうか。
けれど、青年は弟の真っ直ぐな眼差しを見て、言葉を飲み込んだ。
遠くで風の音が聞こえた。
吹く風は冷たい。
木々がざわめき、緑が濃くなったように思えた。夜が来るのかと、腰を浮かしかけた途端、袖を引っ張られた。
「でも、アイツは友達だって言ってくれたんだ!」
袖を持つ、まだまだ小さな手に力が入る。
「胸張って生きたいって!」
ガンの叫ぶ声が、風の音を消した。
「ガン、」
見開いた眼から涙が落ちるのかと思ったけれど、そうではなかった。
ガンは真っ直ぐに兄を見上げた。むしろ、その先にある空を見ていた。
「俺、決めたんだ!」
この空をキイチも見ているかもしれない。だから、空に向かって叫ぶ。
「嘘吐いてたこと……俺にまで黙ってたことムカついて、アイツの手を一度放したから!」
箒が手から転がり落ちた。足に当り、軽い音を立てて草の中へと倒れていく。けれど、ガンの手は空に向かって伸ばされた。
「だから、俺は、もう二度と放さないって決めたんだ!」
ぎゅっと、拳を握り締めた。途端、その言葉はガンの胸内にストンと収まった。それが自分が見付けたかった答えだとわかって、笑顔が自然と浮かんできた。
そんなガンを見て、青年は小さく吐息を落とした。この一本気で我儘な末子はきっとその通りにするだろう。
(……強いな。)
里の大人が、あの子の角をいつか欲しがってしまうかもしれない己に怯え、あの子を遠ざけたようなことを、この子がすることはないだろう。
「……おまえ何歳だ」
「? 十二だよ、知ってるだろ」
「じゃあ、キイチが帰ってきたらまとめて元服だ。俺から長老に言っておいてやる」
立ち上がって、草切れの付いた膝を叩いた。弓矢と獲物を持ち、肩に担ぐ。空いた手で弟の頭を撫でると、驚いたように目がまんまるになっていた。ついでに口もまんまるにあいていて、あまりの間抜けな顔に小さく笑った。
「それまで一人前扱いしないからな。キイチの畑もおまえが整備しろよ。……最近また地震が多い。この冬も厳しくなるだろう」
その言葉に、ガンは大きく頷いた。それを確認すると踵を返した。獲物を早く捌かないと臭くなってしまう。
「ちぃ兄ちゃん、ありがと! へへ!」
その言葉に軽く手を振る兄の背中に一礼すると、ガンは箒を握り締めて、小さな家へと走った。戸を開けて中を覗き込めば、埃の匂いが鼻を掠める。初めて来る家だけれど、そこかしこに、キイチの気配が残っていた。
バッと振り返って空を仰ぐ。
「キイチ!」
青と緑が視界に広がる。この付近の森も、初めに感じたほどよそよそしくはなかった。風が渡るにあわせて、口に手を当てて大きな声で空に向かって叫ぶ。
「キイチ!早く帰って来いよ!!」
その声は遠く遠く。
いつか帰って来るだろう友に届くことを祈って、家に入っていった。
終わり。
(C)2007 Taka Amano