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TOP > 特集 > 本の元の穴の中(もとのもとのあなのなか)
「本の元の穴の中(もとのもとのあなのなか)」の特集
もとあな草紙

「もとあな」サイドストーリー、第二回の主役は“天守のモリ”。元太郎たちと本処(げんしょ)で分かれた後、モリは、どこで何をしていたのか?
天乃タカ先生が書き下ろす、「もとあな」ファンページ「もとあな草紙」、本編とあわせて読めば、さらに楽しさが広がります。

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挿絵

第二片
作・絵 天乃タカ





ばさりと翼を動かす音が男の耳を掠めた。白くうねる髪を風に乗せながら、男は視線を上に向けた。そこには、背中側の外套に爪を立てている鳥の白い羽が、青い空を背景に優雅に広げられていた。
耳元で絶え間なく風がびゅうびゅうと鳴いている。鳥は、まるで獲物を捕まえたように、平均より身長も高く体格もいい男を空高く運んでいた。足許にはもちろん何もなく、風に煽られ、ゆらりと体が揺れる。
そうやって空を運ばれる男の表情には恐怖もなにもなく、まるで日向で散歩しているように、ひどく穏やかだった。この男―――天守の長である杜にとっては、まさに鳥と大空を散歩しているのだった。
けれど、いつもとは異なり、そしてひどく珍しいことに、内心は穏やかではなかった。
「もう少しじゃの」
鼻をクンと動かして、杜は一人ごちた。眼下の森は表情を常に変えるけれど、それは空では道標にはならない。幾度も通る『天の道』では、風の匂いがその役割を果たしていた。
風に吹き飛ばされそうなその声が聞こえたのだろう、一声、鳥が啼き、空気を震わす。長く細い鳥の首が一つ揺れると、ゆっくりと降下し始めた。
そうして、視界の中で世界がゆっくりと動き出す。
癖のある白い髪を吹き飛ばしてしまいそうな強い風をものともせずに眼下を見下ろせば、緑色の森が広がっている。鳥が飛ぶ高さはひどく高く、雲の影が木々の上を流れていき、緑を更に濃くしていた。そうやって多少の差異はあるけれど、緑が重なり合う森はどこも等しく見える。その緑の塊から更に視線を飛ばせば、白い山がそびえていた。その山の向こうには森ではなく、疎らな木々か砂漠か荒野が続いていることを、男は知っていた。けれど結局のところ、大地は黒い海へと飲み込まれる。
それが、世界の全てだった。
強く冷たい風が、頬を耳を掠める。色素が薄く赤い瞳は、降下していく先ではなく、再び遠くへと飛ばされていた。視線の先は、変わらず青い空と緑が広がっている。今朝、本処(げんしょ)を出るときに見た天に届く白い煙は、視界のどこを捜しても見つからない。
『鬼』に反応し、勢いを増した火と煙だとしても、すでに視界の外へと消えていた。
気流が乱れて、風で膨らんだ髪が頬を打つのことも気にせず、杜は目を瞑った。風の音に混じり、風を切る羽の音が聞こえる。羽を動かす骨の音も微かに聞こえた気がした。それはまるで世界が軋む音のようにも思える。
(天を支える、とな…)
地上から見れば、本処の穴から出る煙は天に昇っているように見えるだろう。けれど、それが実際は天に届いていないことは、天を渡ることのできる天守にとって周知の事実だった。
瞼の裏の白闇の中に、気を失った少年の面影が横切った。
苦しそうな顔。
赤く光った瞳。
額で伸びた角。
「…もう少しじゃ」
今まで調べてきたことは、全てこの時の為だったと言い聞かせ、瞼を開ければ、陽の光の眩しさに目が眩む。それも一瞬で、視界が戻れば、地上がすでに目前まで迫っていた。
緑がぽっかりとなくなっている場所がまず視界に入る。それは、緑の草の上に人工的に幾つもの石が円形に配置された広場だった。その周りに、建物が取り付けられた古く大きな樹が十二本。更にその周りを取り囲む樹木にも建物が取り付けられている。そうして広場を中心に円を描きながら、『家』である木々は森へと広がっていく。
それが、杜が長を務める『天守(あまもり)の里』だった。
そして広場には、見張りの鳥から伝えられたのか、早々に杜の影を確認したのだろう、空を見上げる幾人かの姿が見えた。
「元気かのー!」
杜はいつもの暢気な笑顔に戻って、地上に向かって手を振った。
「モリ!」
「モリだわ!」
地上では、その姿に幾分呆れも含まれた声が洩らされていた。
天を守り、鳥を遣う天守だろうと、杜のように鳥に吊らされることはほとんどない。安定が悪く、歩くよりも体力を使うので、緊急の時のみに使うようにと、鳥を遣い出すとまず教えられるからだ。緊急事態などほとんどない昨今では、鳥を遣い始めた小人の遊びの一つと捉えられていた。むしろ、餌のように鳥に吊らされることを疎んじる声のほうが密かに多い。
「モリはいつまでたっても子供みたいね」
長とは思えない、と。
言外に込めた声に、周りで幾つか笑いが漏れた。それは、好意的なものだけではなかったけれど、人々は空から降りてくる若長を見上げた。
青い空が緑に囲まれ、その中を白い鳥が舞い降りてくる。色素が薄く、髪も肌も白い杜が背を鳥に預けている姿に、見上げていた人々は目を細めた。
その姿は、まるで背に羽が生えているようだった。
「あぁ…まるで、」
古の天守はこうであったといわんばかりの雄姿に、感嘆の吐息が付かれる。すでにそこには、年若く飛び回ってばかりの長を軽んじる空気はなかった。
「みんな元気じゃったかー!」
暢気な声に、緩やかな笑いが広場に響いた。途端、幾つかの労いの言葉と、親しみの言葉がかけられ、人々は自然と杜のもとへと駆け寄った。杜は、それらの言葉に応えるように頷くと、軽やかに地上に降りた。
「父さまー」
「父さまー」
「おぉー! 風邪は治ったかー。えらいぞーっ、ほらっ」
駆け寄ってきた幼子二人を抱き上げ、ワハハと笑うと杜は歩き出した。
いつもと同じく暢気で明るい若長の様子に、幾人かは安心したように赤子を背に仕事へと戻って行く。挨拶を交わす人々も、己の仕事へと散って行った。まだ陽は高く仕事は山のようにあり、天守といえど地上で生活をしている人々は決して暇ではなかった。
木々がざわめき、風には絶えず鳥の声が混じる。天守の里には多くの鳥が住まうのだ。頬を触る子供の手はとても温かい。穏やかで護られている里の空気は、杜が昨日まで居た本処の混乱とはひどく無縁に思えた。
「杜」
一目で親子とわかる双子を肩に乗せ、歩き出そうとして踏み出した足を止めた。風に吹かれ木々は低く鳴く。掛かった声の先を振り返ると、腰の高さほどの人影が見えた。一歩後ろに下がってようやく視界に入った老人に、ゆるりと笑いかける。
「おお、ジジか。腰の加減はいいんか?」
そう聞きながらも、肩から子供たちを下ろした。「母さまのところに行っておれ」と背中を押せば、パタパタと走っていく背中を見て、笑いを零した。
轟々と風が吹き上げ、外套がはためき、リンリンと澄んだ鈴の音が、耳を掠める。緑の濃い匂いが体を包み、今年は豊作になるようにと願いながら、本処で見た空を焦がす炎を思い出し、微かに騒いだ心を杜はそっと撫で付けた。
「長老と呼べ。おちおち寝ていられんわい。先触れの鳥に聞いたぞ。…『あの子』に会ったと。その上、『樹』じゃったと」
「そうじゃ。よう似とったよ」
にこりと笑う杜の言葉に、長老は微かに眉を上げた。その視線を受け止め、真っ直ぐな眼差しを持つ少年の面影を思い出しながら、再度頷いた。
「鈴も持っとった」
鈴のつもりなのか、右手の親指と人差し指で輪を作った杜の様子に、長老は思わず一つ吐息を付く。
「だが、『鬼』、じゃろう。纏(まつ)りでも混乱があったと聞いたぞ」
その言葉に、まるで驚いたように目を大きくする若者を見る。親を亡くす前から、長として多忙な親代わりとして己が育てた子だけれど、時折、ひどく掴み難い。杜が独特の思考法を持っていることはわかっても、それがわからない。口調だけ似ていても意味がないと長老は一人ごちた。
「…里の者には?」
「まだ言っておらんが、すでに情報は幾つか入ってきておる」
フム、と頷いて、歩き出した杜の腰ほどしか背がない長老は、ジロリと杜を睨み上げた。
「それをまとめるのは、長としてのおぬしの役割じゃ」
決して外せない仕事を持つ者以外は里に呼び返し、すでに集めてはいた。あとは長を待つばかりの中で出された幾つかの意見を反芻する。きっと、この若い長は反対の意見を言うだろう。それらの意見に対して、天守の長老としてどう治めるべきか、考えると頭が痛かった。
(それにもう一つ、)
昨晩から閉じ込めている二人の若者の姿を思い出して、吐息を付いた。
「かたっくるしいのー」
呆れたような声に、むしろ厭きれた。
「おまえが野放図すぎるんじゃ」
「そりゃ、ジジのせいじゃろ」
子供の頃のように己をそう呼ぶ杜の尻を杖で叩いて歩き出す。
頬を掠める風が普段の年よりもひどく冷たい。冬も早く来るだろう。穂は実る前に落ち、赤子は逞しく育つ前に多く死んでいく。飛び回ってばかりの杜に、長として何が大切なことか今晩にでも言い聞かせることを決めた。
「あ、そうじゃ」
唐突な杜の軽い口調に、警戒する。こういうときに限って、重要なことをぽろっと簡単に言うことくらいは、経験上知っていた。
「キイチにはサメを付けたんじゃ」
キイチ、というのが鬼の子を指すことは見当付く。けれど、そこではなく言葉の内容に、眉を軽くひそめた。
「サメを?」
「ちょうど居ったんじゃ。『キ』の変化を感じたと。そういうところは一族内でも飛びぬけて勘のいい子じゃからの」
ニコニコと笑っている杜を一番疎んじている雨(サメ)の面影を思いだして、長老は首を一つ振った。本処も『鬼』の存在に気が付いているだろうこの時点で、『鬼』を放り出すつもりはない。けれど、杜が鬼に付いて行かず、こうして里に戻ってきたことで体裁は保てる。
若く暴走しがちな者の独断だと。
天守の一族は関係ないと。
切り捨てるつもりはないけれど、本処との関係も悪くするつもりはない。(杜はそこまで考えておらんのじゃろうけどの)
ゆるりと溜息を落とした。それでも、己ならば絶対にその人選だけはしないことを確信していた。
(サメは、…あの子は想いが強すぎる)
それが仇とならねばよいと、もう一つ吐息を落とした。
「あの子も天守のことを何より一番に考えているからの」
もう世代交代はなされている。今更、若長の決断に文句をつけるつもりはなかった。それでも零れた長老の言葉に篭められた想いをわかっているのか、杜はゆるりと笑う。
「難しく考えることは、なぁんもないじゃろ」
長老はその笑顔を胡散臭げに睨むと、人の頭ほどの大きさの石を越える。
「大切なものを護るだけじゃ」
二人はそのまま男衆が集まる建物へと足を向けた。
それは、広場の一番大きく古い樹にある。そこに取り付けられた建物は大きく、数十人が入ることができる。更に視線をその樹の上に向けると、幾つかの建物が見える。その一つは若長でもある杜の住まいであり、窓から先ほど別れた双子の姿が見えて、杜は大きく手を振った。咄嗟に連れ合いの姿も捜したけれど見当たらず、思わずうなだれてしまう。
「…若長よ、」
かけられた声に、肩越しに振り返った。振り返っても、小さな長老は視界に入らず、住処が配された木々が見える。途端、おや、と杜は眉を上げて首を傾げた。その時まで迂闊にも気が付かなかったけれど、いつもと少しだけ雰囲気が違っていた。
ざわめいている空気。鳥がずっと騒いでいる。男衆の姿も多い。迎えに来てくれた女衆の、若長を見る安心したような顔の後ろに、不安が覗いていた。
轟々と風が鳴り響く。
「こんなときじゃが、若衆のアキが問題を一つ」
その言葉に、長老へと視線を落とした。
「アキ? なんじゃ。ようやく子供でもできたんか」
すでに二人か三人は子供がいてもおかしくない年齢の若者の姿を思い出して、そう口にしたけれど、明るい話題ではないことは、口調からわかった。
「それならどれほどよかったか」
長老の深い溜息に、慰めるように笑う杜の声が、風にかき消される。
「…慌しい時は一気じゃからの」
腕を天に伸ばして吐息を付く。
木々が、空気が、震えている。
それは、あの纏りの日からずっとだった。
(…違うか…キイチを見つけたときから…いや、もっと前、父さまが死んだときからかの、)
それとも、と空を見上げる。
(ずっとずぅっと、この世界は小鳥のように震えていたのかの)

―――小さな小さなこの世界は、何を求めているのか。

青い空の真ん中に、空高く啼く鳥の影を見つけた。黒い鳥の影がゆっくりと円を描きながら降りてくる。もう一つの慌しさを掴むように、その影に向かって手を伸ばした。
「じゃが、わしはがんばるよ、」
幼く弱かった自分は、何もできなかった。そうやって喪った幾つかの面影をかき消すように、ふわりと舞い降りた黒い羽が、視界を遮る。舞い降りた黒い鳥の重さが腕に掛かり、温かな体温が伝わる。
「大切なものを護る為に長になったんじゃ」
肌を撫でるようなざわついた空気が、冷たい風に飛ばされていった。


おわり

○もとあな草紙 第三回はこちら

(C)2008 Taka Amano

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