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TOP > 特集 > 本の元の穴の中(もとのもとのあなのなか)
「本の元の穴の中(もとのもとのあなのなか)」の特集
もとあな草紙

天乃タカ先生が書き下ろす「もとあな草紙」第四回は、モリとヒルのお話。実は、昔からの知り合いだったふたり。本編を読めば、どうしてモリが鬼を捜していたかもわかりますよね?
「もとあな」のサイドストーリーが楽しめる「もとあな草紙」は、本編と同時連載で絶好調! 読めば「もとあな」ワールドが、さらに楽しく広がります。

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第四片
作・絵 天乃タカ





風の音がひどく煩い。どれだけの長い時間、風に晒されているか判らぬ瓦礫を見渡した。
「すごいのぅ」
一般に『水の本処(げんしょ)』と呼ばれる場所は、久しぶりに見ても、思わず溜息を漏らしてしまう。壊れる前はどれほどの建物だったか想像もつかない太い柱や、綺麗な正方形の石で埋め尽くされている地面。よくよく見れば、埃が被り、風化してはいても、鮮やかな彩色の面影を残す瓦礫も幾つかあった。
それは、この世界のどの場所とも似つかぬ姿をしていた。
「まあ、本処はどこもそうじゃがのぅ」
目を細め、風化に耐えている本処を見つめた。
(まあ、耐えておるのは、外だけではなく……内もそうか……)
空へと視線を向ければ、鳥の群れが旋回している。首の長い白い鳥が、その中から舞い降り、男の肩に止まった。決して小さくはない鳥が肩に乗っても揺れもせず、男は歩を進めながら、手を大きく振り上げた。
「ヒル!」
視線の先の緩やかな階段の袂(たもと)の瓦礫から出てきた人物は、その声に、顔を上げた。一瞬、警戒するような険しい表情になるも、視線が合った途端、一変した。
「モリ!」
水に入っていたのだろう、濡れた体を拭いていた着物を左右に振る男へと、モリは瓦礫を抜け、ゆっくりと近付く。
「久しぶりじゃの、ヒル」
「久しぶりだというのに、こんな格好で悪いな。水底の遺跡を調べてたんだ」
笑いながら着物を手早く着込むと、ヒルはゆっくりと笑って、改めて目の前の相手を見た。
白い髪に赤い瞳。一年の大半、旅をしているはずなのに、肌は焼けてはいない。それでも、ヒルのよく見る研究者達のように貧弱に見えないのは、体格のせいだろうと、上から下まで視線を動かした。
「また背が伸びたな」
最後に会ったときと比べると、頭一つ分は伸びたようにも見えた。
(……だが、)
白が多く入る生き物が、体が弱いことをヒルは知っていた。
モリも幼い頃は体が弱かったという。まるでそれを跳ね除けるように、天に伸びるように成長しているようにも見えた。その姿は、まるで生き急いでいるようにすら。
「そうじゃのう」
のんびりとしたモリの話し方に、思わず笑みを落とす。
不吉な影を水から引き釣り上げてしまったかと、ヒルは後ろを振り向いて、影をじろりと睨み付けた。長く長く伸びる影の上を砂埃が走っていった。
互いの近況を簡単に報告し、歩き出した。鳥の鳴き声が混じり、時折、水が岸壁に当たる音が響く。その全てを、風があっという間に攫っていく。モリもヒルも、風から逃げるように、急ぎ足で階段を登った。
「水に入ってなにをしとったんじゃ」
「あぁ、何か本が落ちてないかな、と」
「落ちとっても読めないじゃろう」
「んーまあ、そうなんだけど、」
あははと笑うヒルの顔を見て、モリは小さく頷いた。
小さな可能性にすらかけたいのは、モリとて同じだった。遥か昔の痕跡がこれほど残っている『水の本処』ならば、まだまだ見付かっていない本はあるのではないかと考えても、不思議ではない。
「目の付け所はいいかもしれんの」
大きく頷くと、鳥が肩から空へと飛び立って行った。羽が起こす風が、白くうねる髪を更に跳ねさせる。それを気にも止めず、ヒルも大きく頷いた。
「そうだろ!? 浸水してる穴の中も調べたいんだが、なかなか許してくれなくてね」
鳥は空の仲間へと合流し、大きく一つ啼いた。
「じいさんか?」
この本処は鳥が多いと、思わずモリは空を見上げた。高い空には、点としか見えない鳥が多く飛んでいた。本処の特徴の一つであるその鳥の大群に、目を細める。
「じいさんは自分の研究に必死さ」
その言葉に視線を向ければ、言葉のわりに嬉しそうにヒルは笑っている。それは、確かに大切な者を思うときの顔だった。
「じゃあ、」
「うん、ミキなんだ」
笑うヒルに、モリも笑って応えた。
目の前には、戸が迫っていた。
ヒルが更に足を速める。
「あの小さな子か」
背中へと声をかければ、軽く頷いて、ヒルは立ち止まった。
そして、まるで秘め事のように囁く声が風のまにまに耳に届く。
「子どもはあっという間に成長する。意外と気が強い」
そして、ひどく静かに戸を開けた。
そこは小さな広間となっており、そこから一本廊下が伸びていた。その横手には、戸が一つあった。ヒルはそこを指差し、その手を口に当てた。モリはその動作を繰り返し、小さく頷く。
ヒルがきょろりと周りを見渡しても、人の気配はない。それでも、足音を立てずに一気に戸まで駆けて行くヒルの後ろに次いで、モリは後ろ手に戸を閉めると、広間を五歩ほどで横断して、目指す部屋へと入った。
「悪いな。……じいさんがあまりいい顔をしないんだ」
「わかっとる。突然で申し訳なかったの。……顔を見に来ただけじゃから、すぐに帰る」
モリは笑うと、側の籠へと腰を下ろした。大きく吐息を付くのは旅疲れなのか、落胆から出るものなのか、ヒルには判断が付かなかった。
「ゆっくりして行けばいい」
「そうも言うとれん」
小さく左右に首を振るモリへと視線を向けた。大きな体は、少し小さく見えた。モリの座る籠の横に座れば、遠くを見ているモリはどこか所在無さげだった。
(なりはすっかりと立派になったが、まだまだモリも若い……。)
偶然知り合って数年になる。初めて会った時のモリは、今の身長の半分もなかったことを考えると、ふと、先ほどの不吉な影を感じて、思わず、遠く、窓から外へと視線を飛ばした。
その先は荒れ果てた光景が広がっていた。
毎日見ていても、見るたびに体の奥底がひんやりとするような光景。
(此処に居るのは、ほかに行き場所を喪った者だけ、か)
草木は生えておらず、強風に拭き晒されている場所。
人が住むには厳しい場所だった。
「『鬼』というのは、ほんに謎めいとるの」
その声に視線を戻せば、光の届かぬ部屋の中で、色素の薄いモリは、ぼんやりと浮いて見えた。
「……そうだな」
互いに鬼の情報を求めていることから、頻繁に情報交換をしていたけれど、交換するだけの情報も見付からぬときのほうが多かった。
「モリ、……!」
突然、モリの手が上げられ、ヒルは言葉を切った。
問うように視線を向けた途端、目の前の杜の瞳が細くなる。遠くを見るようなその様子に、耳を澄ませば、微かに足音が聞こえる。そして、徐々に近付いてくる足音は、聞きなれたものだった。
ミキだ、というヒルの声は開けられた戸の音で掻き消された。
「ヒル! 水から上がったままなにやってるの? 体冷やすわよ」
高い声と足音。そして、現れた少女が布を差し出した腕が止まった。唐突に静かになった部屋に風の音が忍び込む。
「ミキ!」
ヒルが立ち上がり、その布を受け取るも、ミキの視線はヒルの肩の向こうへと合わされたままだった。息さえしていないように、ピクリとも動かない。
「ミキ!」
徐々に細い肩が微かに震え出し、その手が、露になっている二本の角を隠すように上げられる。それはまるで降伏しているようでもあり、ヒルは思わずモリからミキを隠すように動いた。
「……誰?」
背から聞こえる声は、いつもとは異なる。

挿絵

モリへと一つ頷くと、踵を返した。
そうして、ミキと向かい合い、大きく頷いた。
「俺の知り合いだ。大丈夫」
小さく頷くミキの様子に、そっと吐息を付く。
その手に触れればひどく冷たく、そのまま温めるように握り締めて笑顔を向けた。
「ここは大丈夫だから、じいさんの様子を見てきてくれ」
最近足元が覚束ないから、と言えば、そうね、と頷く。けれど、その声は、まだ硬かった。それでも、一度だけ握り返された手は、冷たくとも優しい。笑顔を一つ落として駆け出して行った後ろ姿に、ヒルは深く息を吐いた。
(角……普段から隠させたほうがいいか……)
耳の上から生えている、二本の角。
いつか本で見たことのある、山に住む動物のようだと、唐突に思えた。その動物は崖を駆け下りることができるほどの、立派な脚と体を持っている。そして、自由に己の行きたいところへと駆けて行くのだ。
先ほど窓の向こうに見えた景色が蘇るも頭を一つ振った。
宙に浮いたままだった手を、握って閉じる。
「あの子はワシのことを覚えてないじゃのぅ」
その言葉に顔を上げた。
物思いにふけっていたことを謝れば、モリは笑うだけだった。
「あの子を預けたワシが言うのもなんじゃが、あの子の面倒をおぬしがずっと見るとは思ってなかったのう」
「いや、面倒見てもらってのは俺とじいさんのほうだよ」
先ほどと同じ籠の上に座って、小さく笑った。
「ほう」
「あの子は、いい子だよ、」
一つ息を吸う。風の音は止まず、ひどく煩い。
ミキが持ってきた布で体を拭くも、すでに乾いた肌はカサカサとしていた。
「……でも、今も時々うなされてる」
ヒルは、ミキがどのような扱いを受けていたか知らなかったし、これからも、聞くつもりはなかった。ただ、うなされるミキの手を、握ってやることしかできなかった。
(俺が此処に居ないときには、)
どうしているのか、と考えるだけで心が重くなる。
「そうか……そうじゃの。思い出させんほうがええ」
その辛そうなその言い様に、改めてモリを見つめた。
(モリともあれが初対面だったか)
ヒルがミキと出会ったのは、モリが引き合わせたからだ。
「モリはどうしてあの子を助けたんだ?……モリが捜してる鬼の子とは違うんだろう?」
まだまだ少年だったモリは、ヒルを一目見るなりミキを頼むと言って来たのだ。追われている、と。あまりの唐突さに驚くヒルの手に握らされた小さな子どもの手は傷だらけだった。そして、モリが自分を囮にして小さな鬼の子を逃がしたからこそ、ヒルはその手を離すことができず、走り出していた。
(そして、此処まで来てしまった)
風の音がひどく煩い。
「わしは天守の長……そして、天守の末裔だからの」
その言葉へ疑問を口にする前に発せられた言葉は、僅かに硬かった。
「……それがわしの役目じゃ」
ジッと視線を合わせた。
いつも笑っているモリは笑ってはおらず、もっと強い感情を我慢しているようにヒルには思えた。モリがどうして旅をしているか、詳しい話をヒルは知らない。
ただ、鬼を捜している、と。
そこに何かしらの強い想いがあることは、瞳を見ればわかった。
(俺は、これとよく似た色をしている瞳を知っている。)
遠く鳥の声は啼き止まず、水は常に揺れ動いている。
「……モリ、ミキの文字は『美しい』『樹』と書くんだ」
あの子は、一生此処で暮らすのだろうか。
「俺が付けたんだ。あの頃は、鬼のこともほとんど知らなくてね」
手の中の布を握り締めた。
「でも、ミキは嬉しいと言ってくれた。その時に、俺はもうあの子の手を離さないと決めたんだ」
己の言葉に、ゆっくりと頷く。
「モリには感謝してるよ。ミキに引き合わせてくれて」
そして、自然と笑みが零れた。
モリの抱える全ての事情は知らないし、知る由もないのかもしれない。それでも、ミキと過ごしてきた時間だけは確かだと思えば、途端、心が軽くなった。
耳を澄ませてもミキの足音も声もしなかった。穴の奥深くに閉じこもるじいさんの相手をしているのだろうかと思いながらも、ヒルにはよくわからなかった。ヒルは、本を集めるために多くの本処を渡り歩き、この本処には長くは留まらない。此処の全てを把握すらしていなかった。
それでも、此処に帰って来たいといつも思う。
「……そうか」
ゆっくりと頷くと、モリは穏やかな笑みを零した。そして、一、二度と頷く。
「さっきのは間違いじゃ。ただ、わしはあの子が大切なんじゃ」
あの子、というのが鬼の子を指すしていることは明確で、ヒルは大きく頷いた。それに、モリはひどく満足そうに笑うと、唐突に立ち上がった。
「さ、ワシはもう行こうかの」
「なんだ、本当に寄っただけだったのか」
「そうじゃよ。これから山を右手に行くんじゃ。早く見つけたいのぅ」
大きな手で指した方向を見れば、水の向こうに深い森が見えた。
「そうか。……おまえを見てると思い出すな」
そして、思わず声を出して笑ってしまう。
「俺の又従兄弟にも、ずっと世界中を旅しながら大切な人を捜している奴がいるんだ」
指で、眉間に縦に一本引いた。
「性格はモリとはぜんぜん違うけどな! こんな皺を常に刻んでるよ」
あははと笑うヒルを見て、モリもにこりと笑った。
「でも、いい奴なんだ」
「そうか。いつか逢えたらいいけどのぅ」
深く頷いた。
そして、先ほどと逆の道を通り、戸を開け、外に出ると同じように強い風が二人に吹き付けてきた。
鳥の声も更に大きくなる。
瓦礫は強い風にすら、ぴくりとも動いてはいなかった。
「なあ、ミキの『角』を見に来たんだろ? ……いや、封印のほうかな」
背中を向け、今にも走り出しそうなモリの肩を、軽く叩いた。
「!」
振り向いた肩越しに、驚いて大きくなる瞳の中で、ヒルはなんでもないことのように笑った。
「わかってる。あの封印は完璧じゃないって。気休めでしかないことも」
封印の書を見つけてきたのはモリだった。天守の里にあったと。
(もしかすると、)
鬼の本のほとんどは天守の里にあるのかもしれない。
けれど、それを確かめる術もないし、隠しているならば、その理由もちゃんとあるのだろう。
(俺たちはきっと大切なものを護りたいだけなんだ。)
願いも想いも、この若長と共通しているならば、問題ないと思えた。
「年々、角が少しずつだけど大きくなってることは、ミキも気が付いてるかもしれない」
深く頷く。
「でも、大丈夫だ」
それは、モリに対しても。
「大丈夫。俺が研究する」
ヒルの様子に、モリは一つ息を吸う。
そして、そっと息を付きながら笑いを落とした。
少しだけ気が軽くなったようにすら思えた。
「……いい方法が見付かったら連絡するからの」
じゃあ、と一つ手を振ると、モリは駆け出した。
風に服も髪も吹かれる。空を見れば、鳥が旋回していた。
(わしももっともっとがんばらんとな)
その中の一羽が降りてくるのを見て、モリは大きく手を上げた。
そうして、小さくなるモリの背中を見て、ヒルは一つ息を付いた。
(モリも大変だな)
多くの秘め事を一人で背負う重圧がいかほどのものか、見当すらつかなかった。それでも、ああして笑っていられる気質で救われる者も多いと思えた。
(長にぴったりだな)
それが、さらにモリの重圧を多くしているのだとしても。
小さく吐息を付いて、視線を飛ばす。
「ヒル、」
「! ミキ……今の話、」
聞いていたか、と言いかけて言葉を飲み込んだ。ミキの頭は左右に振られ、大きく青い瞳が少しだけ伏せられた。
「もうすぐご飯ができるから呼びに来たんだけど、」
行ってしまったのね、と遠くを見るミキの瞳にはすでに誰の姿も映ってはいなかった。空高く、鳥の影が見える。くるりと旋回し、すぐに黒い点となり、消えていった。
「ああ。鳥のような奴だからな」
「そうね」
その声音に、おや、とミキを見るもヒルは結局は何も言わず、その背中を押して、本処の中へと入って行った。
「今日のご飯は?」
「いつもと同じよ。魚とか海草とか」
「そうか。ミキの飯は旨いのに、モリも残念だったな」
「そうかしら」
「そうだよ」
笑い合う声が、パタン、と戸が閉じられた向こうへと消え、残ったのは風の音だけだった。

此処が、騒がしくなるのは、もう少し後のお話。

 


おわり

○次回の更新は、1月の下旬予定です。お楽しみに。

(C)2007-2008 Taka Amano

 

 

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